かさぼぅ 気ままな趣味ブログ

好きなこと・好きなものを、気ままにアップします

鉄道アーカイブ 新津鉄道資料館③

🚋 鉄 道 ア ー カ イ ブ 🚋

皆さん、こんばんは。おはようございます。こんにちは。

久々に台風が来そうで、ちょっとドイドキのかさぼぅです。

コロッケ買って来なくちゃ!(←このネタ分かる人いるんかな?w

北陸地方の方も、しばらく注意ですね。

 

さて、今回の「鉄道アーカイブ」は、新津鉄道資料館の3回目です。

前回までの2回で、屋外の展示車両をご紹介してまいりましたので、今回は「屋内展示物」をご紹介いたしましょう。

 

えー今更ですが、入館料の体系は以下の様になっています。

 ・小中:100円

 ・高大:200円

 ・一般:300円

まぁ公共施設ですし、お安いとは思います。(笑

 

で、館内にも、ドマニアさんがアガる展示物が盛りだくさんです。

さっそく幾つかご紹介しましょう。

ここからは、写真メインの進行です。(←もはや信憑性なし💧

 

f:id:kasabow:20210809154619j:plain

はい、サボさんです。

某国営放送の子供番組に出ていた緑の謎生物ではありません。

現在の鉄道車両は、側面の電光掲示板で行先を表示していますが、大昔には当然そのような設備がないので、錆に強い「ホーロー」で「行先表示板」を作り、それを列車の側面に張り付けていました。

この「サボ」の呼び方については(お得意の)諸説ありますが、「サイドボード」や「サインボード」から来た略称を言われています。

 

しかし、「帰還専用」って凄いですね。

恐らく戦時中(戦後)の物なのでしょうね。(←ってやっぱり、全然写真メインで進めてないじゃん!

 

f:id:kasabow:20210809155508j:plain

黒い文字は普通列車用。

 

f:id:kasabow:20210809155721j:plain

赤い文字は、特急列車用。

急行は、黒文字の行先表示に赤文字で「急行」が記載されていました。

(ただし、他の地方が同じであったかまでは分かりません)

 

f:id:kasabow:20210809155924j:plain

こちらは、駅のホームの柱に張り付けられていた「駅名板」ですね。

うーん。懐かしいですねぇ。(笑

 

f:id:kasabow:20210809160051j:plain

これは、改札口付近に掲示してあった、時刻表ですね。

路線別に「上り列車」と「下り列車」用があるので、主要な駅では沢山の時刻表がありました。

赤い文字が「特急」や「急行」なので、国鉄時代はかなり頻繁に優等列車が往来していたことが良く分かります。

 

f:id:kasabow:20210809160251j:plain

新津駅の時刻表なので、磐越西線湯のもありますね。

昔は快速が1日2本あって、郡山まで直通する列車もあったんですね。(現在は、会津若松が終点です)
本数も多い気がします。

 

f:id:kasabow:20210809160650j:plain

これは、駅のホームにぶら下がっていたヤツですね。

目的の列車が停車する際のドアの部分に掛かっているので、この前で並んで待っているとスムーズに乗車できます。

当時の「急行しらゆき」は、現在は特急列車に格上げされ、新潟から金沢に行く際に新幹線に乗り換えるための「上越妙高駅」まで運行されています。

 

f:id:kasabow:20210809161037j:plain

って、下り列車は「青森」まで行っていたのね。💦

超ロングランの急行だったんですねぇ。

当時の急行列車と言えば、「キハ28」や「キハ58」がお決まりでしたね。

あー、そんな長距離急行列車で旅をしてみたかったです。(笑

 

f:id:kasabow:20210809161338j:plain

そして、新潟を代表するロングラン急行がもう一つ・・・。

はい「急行赤倉」です。

こちらは、新潟から長野を経由して「名古屋」まで行っていました。

たしか、「キハ58」+「キロ28(グリーン車)」の10両編成だったと思います。

気動車急行の10両編成って、もうカオスです。乗りたいのもありますが、写真撮りたいです!!

そして当時の急行列車のグリーン車は、車両側面にグリーンの帯が付いていて、それだけで格式高くて「いつか乗ってみたい」憧れの車両でした。

なんてったって、「手すり付き+赤モケットのリクライニングシート」ですからね。

普通車が青モケットの直角シートですから、格が違い過ぎます。(w

あーイカン。やっぱり解説しちゃいますね。💦

 

f:id:kasabow:20210809162549j:plain

 日本海側の交通の要所として、東西南北・縦横無尽に列車が行き交っていたんですねぇ。

 

f:id:kasabow:20210809162727j:plain

この「急行あさひ」、かさぼぅが生まれる前からあったもので、新潟から山形を経由して仙台まで行っていたものです。

これが後に「上越新幹線」の速達タイプ(停車駅少な目)、上越新幹線あさひ号」としてその名を継承して行きます。

 

f:id:kasabow:20210809163421j:plain

ちなみに、各駅停車タイプは「とき号」として、やはり「新潟・上野間」を往来していたメインの特急列車から、その名と役割を継承しました。

(とき号の名称は今でも残っています)

 

f:id:kasabow:20210809163508j:plain

オモシロ列車名は、これですかね。「急行佐渡

佐渡は離島なので、佐渡ヶ島までは列車で行けませんが「佐渡」の名を持った列車です。

「特急とき」と同じく、新潟・上野を結ぶ急行でしたが、東京から見たら「新潟県に向かう」イメージは付きやすいかもしれませんね。

 

そう言えば、当時の寝台列車「なは(那覇)」ってのがあったのを思い出しました。

沖縄の本土復帰願い、1968年から「大阪・西鹿児島」間を結んでいたブルートレインです。「ヘッドマーク・テールマーク」は、ヤシの木だったと思います。

 

あ~、やっぱり写真メインで進行できなかった。(←いつもじゃんw

長くなってしまったので、まことに勝手ながら、今回はこの辺で一旦お開とさせていただきます。(本当は今回で最終回の予定でしたが・・・💦)

 

いや~、今回は流石にマニアックすぎるぜぇ(^-^;

 

それでは、本日も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。🚋✨

(次回、完結編! の予定・・・)